オタクは世界を救えない

『ドキドキ文芸部!(Doki Doki Literature Club!)』ネタバレ感想と第四の壁の話

Doki Doki Literature Club! (Original Soundtrack)

 日本名では『ドキドキ文芸部!』、正式名称では『Doki Doki Literature Club!』、略称ではDDLC。元からその筋の人間には有名な作品で、最近はネットニュースでも取り上げられたことで巷でも話題なゲームをやってみたのでその話をしようと思う。

 ちなみに考察記事なんかもいくつか漁ってみたんですけど、ほんとに山ほど出てきてぶっちゃけ俺が今更語るようなこともないんじゃねって感じたね。ストーリーのネタバレ自体も探せばたくさん出てくるし。ということで、ここでは適当に自分が気になった点を中心に触れていこうと思います。

概要

 まあ一応概要だけ。DDLCは海外のクリエイターであるダン・サルバト(Dan Salvato)を中心とした、チーム・サルバトによって製作されたギャルゲーであり、Steamなんかでは無料で配信されている。プレイ時間はだいたい3時間ほど。

 ストーリーも軽くまとめよう。まず主人公は、幼馴染のサヨリに誘われて学校の文芸部に入部する。女の子だらけの文芸部で、主人公は詩を見せ合ったり文化祭の準備をやったりしてよくあるギャルゲー的展開に身を任せる。しかし、文化祭直前、幼馴染のサヨリは自身が重いうつ病であることを告白し、自殺する

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 ちなみにこの自殺シーンにおいて、サヨリの手が血で赤く染まっていることがわりと重要らしい。一応この自殺は、ストーリー上の黒幕(?)であるモニカによるスクリプト改変によって起きる行為なわけだが、サヨリは自殺に追い込まれながらも首吊りの縄をほどこうと必死に抵抗したのだと、血に染まった両手から察することができる。だからこれは自殺というよりは、モニカによる他殺みたいなもの、あるいはクリエイターによるストーリー上の都合のようなもの、そういう感じのものにサヨリは殺されたのだ。

 そしてサヨリが死んだところで強制的に一週目が終了し、ゲームは二週目に突入する。しかしタイトル画面のサヨリはなんかバグった風に表示され、他のキャラもときどき文字化けしたり壊れたような振舞いを取る。ホラー風味の描写に溢れた二週目の最後では、ユリも自殺しナツキはゲロを吐く。たぶんSNSとかで話題になっているのは主にこの辺りのパートだろう。俺はホラーとか苦手なんだけど、普通にめっちゃ怖かった。キャラが壊れるシーンもそうだけど、BGMの音が外れ始めたり、選択肢が正常に選べなかったり、そういったノベルゲー的な部分を活用してあらゆる手段でビビらせようとしてくる執念が怖い。話題になるのも頷けますね。

 ただ、この後の三週目からがむしろ本番。黒幕であるモニカがユリとナツキのデータまで削除することによって、主人公とモニカだけの世界が作られる三週目。しかもこの辺にくると主人公は言葉を発することがなくなる。モニカは主人公というよりは、画面の向こう側にいるプレイヤーに語り掛けてくるわけである。
 そして結構凝ってるのが、モニカがゲーム内で設定された主人公の名前ではなく、プレイヤーがPCに設定した名前を呼んでくるシーン。特に本名で登録している人はかなり驚いたらしい。ちなみに俺はこんな感じ。

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 スベってる……

 で、プレイヤーを二人っきりに閉じ込めてくるサヨリを打倒する手段は、ゲーム外にある。これはご丁寧にサヨリ自身がそのありかを教えてくれるのだが、DDLCのゲームフォルダ内に「characters」というフォルダがあり、その中に始めは四人分あったはずのファイルが「monika.chr」だけになっている。モニカが他のキャラにそうしたように、モニカのキャラクターファイルを削除することでプレイヤーはモニカの呪縛から解放されることができる。

 そして四週目。ここではモニカが消え、他の三人だけの世界が存在する。サヨリは文芸部の部長にあてがわれ、そこで平和な学校生活が送られるのかと思いきや今度はサヨリがモニカ化。すると消えたはずのモニカが現れ、サヨリごとゲームファイルを破壊して主人公に別れを告げる。エンディングはモニカがひっそりと練習していたというピアノと、それに乗せた歌が流れて終わり。ちなみにその歌詞がこれ。

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 ゲームの世界で出会ったプレイヤーへの恋心を綴った詩であるが、注目してほしいのは一番最後のフレーズ。「何をすれば、特別な日は見つかるの?」という歌詞だが、これはそもそも攻略対象ではないモニカが、どうすれば主人公(=プレイヤー)と結ばれるエンディングに辿り着けるのか? という問い。それを探すためにモニカはスクリプトをいじり、他のキャラを皆殺しにしてまでゲームを作り替えるわけだが、結果をご覧のとおり、モニカが主人公と結ばれるルートは存在しない。ゲームという都合上、ルートがないんだからモニカと付き合うことなんて絶対にできないのである。

特殊エンディングについて

 概要長すぎじゃね? と思ったけどまあいいや。次は特殊エンディングについてです。
 このゲームには一週目でセーブ&ロードを繰り返して全員分のCGを回収することによって見られる特殊なエンディングがある。結末自体は変わらないものの、四週目でサヨリが発狂することなく、プレイヤーに対してみんなと楽しく遊んでくれたことへの感謝を述べ、最後に作者からのメッセージが現れる。別にハッピーエンドではないが、ここにおいて、プレイヤーがCGをフルコンプするほどこのゲームを楽しんだ、という要素が重要になってくる。なにがヤバいって、二時間程度で終わらせたノーマルエンドも、フルコンプしてがっつり楽しんだ特殊エンドも、モニカが消えたままゲームが終わるという結末自体は変わらないという点。だと思う。

また、ED後に作者からのこのようなメッセージが表示される。

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 まあ大したことはたぶん書いていない。直接ゲーム内容に触れているわけでもないし。ただオタク・コンテンツに対する取り組み方をたまに考えるタイプの意識高いオタクとしては、いくつか気になるフレーズが散りばめられている。個人的に気になったのは、以下の二つの点。

・ゲームというものは相互に作用する芸術だ
・彼らが楽しければ、それで問題ない~~(中略)何であれ関係ない、好みは好みだ。

 相互に作用する芸術っていうのは、DDLC的に言うなれば、プレイヤーとキャラクターの相互、という意味だろう。プレイヤーとクリエイターかもしれない。あるいはプレイヤーとプレイヤーか。とにかく、ただプレイヤーがクリエイターから投げられたものを受け止めるものではないということを言っている。モニカがプレイヤーに干渉してきたり、プレイヤーもゲームファイルを通じてキャラクターに干渉したりできる今作ではその辺の挑戦をかなり上手く表現していると思う。
 好みは好みだ、っていうのは別にDDLCに限らず、作者のゲームに対する姿勢の話だろう。一つのゲームに対してそれを好きな人も嫌いな人もいるし、楽しみ方だって人それぞれ。特にDDLCについて書かれた記事をいくつか読んだ感想としては、わりと人によって書き方が違うなというところ。考察にしてもキャラクターごとの設定を中心に話してるところもあれば、モニカによる改変の意味合いを語ったり、詩の考察をしたり、暗号化された隠しテキストからもっと深くを覗いてみたり、或いはモニカの恋愛感情に触れてみたり、等々、よくもまあいろんな方向からアプローチするな、と感じる。そういう意味では、一方的ではないからこそ、プレイヤーの感想も人それぞれになって面白いものがあるのだと思う。

第四の壁について

 本題に至るまでが長すぎですね。正直あんまり長く書くと自分自身も疲れるし読む方もめんどいだけだろうからあれなんだろうけど、まあいいか。

 終盤にモニカが「第四の壁」という言葉を出すんだけど、俺は無知だからまったく意味を知らなかったのね。キャラクターが四人いるから、モニカが四つ目の壁ってことか?あぁん?みたいな的外れな解釈をしてた。マジ恥ずかしいね。
 実際はゲーム内の用語ではなくて、創作で使われる用語らしくて、意味は劇場の舞台と観客の間にある、通り抜けられない透明な壁。観客は創作物をその壁を通してみるわけだが、透明なのであたかも舞台の上の出来事が本物かのように見ることができるというもの。壁の内も外もわざわざそれにツッコまないし、その約束事があるから変な疑問も抱かずにストーリーを進めることができている。逆にキャラがいきなりメタ的な発言をしたり、プレイヤーに語りかけてくるようなのは、第四の壁を破ることとされる。

 で、俺はこれをwikipediaで読んだとき、わりと衝撃だった。いやね、俺だって昔は「二次元の世界に入れたらなあ」とか考えるタイプのオタクだったから、ディスプレイの向こうとこっちの間にちゃんとした名前がついてて結構感動したんですね。しかも響きがかっこいいし。だからDDLCについてもちょっと思うところとして、このゲーム、基本的にはモニカが持っている「プレイヤーと一緒に過ごしたい」という感情に基づいてシナリオが進んでいるわけで、それが果たされないというのもどちらかといえばモニカの悲恋として始めは捉えられているのだけど、そのときプレイヤーもまた「モニカと一緒に平和な日常を過ごしたい」と思っているはず。ゲーム世界に閉じ込められたキャラがそれを悲劇だと思っているのと同様に、昔の俺とかその辺のオタクもまた「二次元の世界に入ることができない」という悲劇を抱えているのだ。

 たぶん第四の壁ってのの本来の要旨とはズレてるんだろうけど、そこはまあ気にしない。とにかく現実と二次元の間には壁がある。DDLCは相互に作用するゲームらしいので、モニカがプレイヤーに恋するのと同様に、プレイヤーもまたモニカに恋をする。つーか基本的にオタクはギャルゲをやったら誰か一人ぐらいには恋をする。でもオタクからキャラクターに影響を与えることは、少なくともシステム上で設定されている範囲外ではあり得ない。モニカは自分が攻略対象じゃないことを嘆いたが、攻略対象じゃないキャラを好きになってしまったオタクもまた嘆いている。ちなみに俺がこの世で一番好きなキャラは攻略対象なのにルートが存在していない。Gardenってゲームなんだけど知ってる人はだいたい「それな」って言う。

 ゲーム内のキャラはだいたいそのことに気付かない(当たり前である)からいい。モニカは本来気付くはずのない、そこにある不条理に気付いてしまったから不幸になったのだが、なんならオタクは常にそこにある壁や不条理に気付いている。いっそ俺たちがモニカまである。そりゃ技術があればスクリプトを書き換えることも、続編や二次創作、なんなら最初から自分好みのゲームを作ることもできる。けど決定的に、そこにある壁を乗り越えることはできない。いや、オタクだったら一回ぐらいはマジで悩んだことあると思うんだよな、これ。俺たちは二次元の住人にはなれないんだけど、そのことを今更になってほじくり返してきた文芸部野郎はマジでヤバいと思う(語彙がない)。

まとめ

 このゲームの終わり方が、ハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、という考察や議論をいくつか見かけた。捉え方は人の好みや視点でいくらでもあるからどっちでもいいが、一人のプレイヤーとして、「面白いゲームだったなあ」と感じられた時点でわりとハッピーエンドではあると思う。ただ上で書いたとおり、どんだけゲームが綺麗にまとまったとしても、その楽しい時間が終わってしまった時点でバッドエンドみたいなもんだと思う。ゲームではよくあるけど、主人公とヒロインが結ばれて「これからはずっと一緒だよ……END」ってENDやんけ! ってキレそうになる。ずっと一緒じゃねーんだよな、終わっとるやんけ。

 だから、その辺に挑戦した意気込みに対して、素直にこの作品を称賛したい。普通に面白いしね。キャラとプレイヤーとクリエイターとその他諸々が(完璧ではないなりに)相互的に作用しあえる、良いゲームだった。あとコスパが最強。