はじめに
いいアニメでしたね。特に最終回付近。序盤から育ててきた青春のジメジメした感じをいい具合にさっぱりと仕上げて綺麗に終わらせてくれたと思います。
ただ中盤は雰囲気作りのためか、進行がかなり遅くなっていた印象。通して見ると前作であるグリッドマンの方が俺は楽しく見れてたかなーとは思う。逆にいうと、ダイナゼノンの方はグリッドマン以上にテーマ性というかコンセプトに向けて尖らせてきたって感じですかね。
蓬と夢芽について
かけがえのない不自由を、これから手に入れていくんだ
人と絡むのってめんどくさいよね。わかるわかる。
ということで今作の主人公ペアは、付かず離れずのもどかしい距離感を維持し続けてきた。もちろん、単に青春の甘酸っぱさを表現していただけではない。二人の距離感は、人付き合いによって生まれる不自由さへの拒否感によるものだったのだと思う。主に夢芽サイドにおいてそれは顕著だったかなと。
ストーリー中で特に重く扱われていたのは、夢芽のお姉さんである香乃の自殺話。
それまでは香乃の死について疑問を抱きながらもあまり触れることのなかった夢芽が、真相の究明に乗り出す。姉のかつての同級生たちを辿って死の原因を辿る作業は地道であり、しかも知らされる情報はあまり楽しいものじゃない。
香乃の抱えていた人間関係の問題も、それを究明するために人脈を辿る作業も、はっきり言って面倒。何も踏み出さずに一人でいればそんなことに煩わされることもなく、自由でいられたのかもしれない。
それでも彼らは誰かと関わる。その不自由さこそがかけがえのないものだと気づいたから。
「不自由でもいいから○○したい」じゃなくて、「不自由を手に入れていくんだ」なのがいい味を出してる。何もかもが思い通りに行くふわふわした感じじゃなくて、思い通りに行くことや行かないことがあったりするその不自由な感じが愛おしい。自分だけじゃなくて誰かがいる。その誰かと絡み合うことによって生まれる不自由さこそがかけがえのないものなんですね。
最終回で夢芽が文化祭をめんどくさがってたのもすごくよかった。一緒に文化祭行こうって決めた彼女が当日になって駄々をこね始めるのとか、教室に連れて行こうとしたらぐだぐだ言い始めるのとか、めんどくさすぎて可愛い。最初から素直で良い子な彼女だったらこんなに感動しないでしょ。ついこの前まで捻くれてるだけだった女の子が「まだ南さんなんだ?」とか言ってくるからこそ面白い。そんな不自由さがあったから彼らに物語が生まれたわけなんですね。
暦とちせについて
あんなもん似合ってたまるか
社会不適合者コンビ。正直言って普通にカップリングだと思ってたけど、二人の関係が具体的に呼称されることは最後までなかった。もちろん恋人でもなければ、友達ともちょっと違う。ちせが暦を「先輩」と呼んでいたのは不登校児としての先輩という意味だろうけど、微妙な距離感の呼称ですよね。
で、恋人になった蓬と夢芽に対し、二人は最後まで別にくっ付いたりしない。なんだったらここで一緒に取り上げるのも違うかもしれない。
二人は最終回付近ではスーツを着たり制服を着たりして、社会復帰に乗り出す。ただ、どちらも似合ってない。似合ってないどころか「似合ってたまるか」まで飛び出すのがちせの成長を感じられてとても良い。
学校に居心地の悪さを感じ、かといって他の場所でも自分を曝け出すことのできなかったちせ。何もせずだらだらと暦の家に通い、「将来的には暦のように(無職でだらだらする人間に)なりたい」と宣言する彼女は、最終的に隠していた腕のタトゥーを曝け出して学校への登校に挑戦したりしなかったりする。この辺あんまりはっきりしたシーンがないからちせがその後どうなったかはよくわからないけど、学校へ通おうと通わなかろうとちせが自分に似合ったタトゥーをその身に刻んでいるのは変わらないんでね。
それから暦。ニートの青年とかいうオタクに一番刺さるやつ。なんだったら作中で一番成長したのが彼かもしれない。就活するなんてすごい。21回も面接に落ちるなんてすごい。
学生の頃の想い人を引きずってその影響か大学を中退し、バイトも上手くいかずすぐにやめ、そのまま引きこもりになって十数年。まさに自由って感じ。余裕のある感じからして家も裕福なんだろうし、たぶん不自由さから最も遠い存在だったかと思う。
そんな彼がダイナストライカー(独学)を履修したことによって、あえて不自由な社会に飛び込む。似合ってないスーツを着て。すごい進歩なんだけど、暦の場合はその原因も大したことなければ、克服した後にやることも大したことない。でもそんな変凡な不自由さとかいうか、ちょっとした起伏を物語にしたのが今作なんですよね。いいと思います。
ガウマと姫について
世の中にはなあ、人として守らなきゃいけないものがなあ、三つあるんだよ!
約束と、愛と、あとなにか。
姫とガウマのエピソードが最後まで必要最低限しか明かされなかったのすごいなあと思いました。
なんでだろう。過ぎたことだったからかもしれない。この物語はあくまでも今とそして未来の話であって、ガウマは昔話をするために蘇ったわけじゃないのでね。
元々は怪獣使いだったガウマは、姫様と恋に落ちて人間になった。
思うに、怪獣使いをやめるということは怪獣以外のなにか大切なものを見つけるということなのかもしれない。怪獣を操るという強大な力を失う代わりに、四人で集まらないと操れない不自由な力を姫様から預かったガウマ。目的は戦うことではなく、約束と愛とあとなにかを守るため。だから怪獣がいなくなればガウマが蘇る意味もなくなり消滅する。でもそれ自体は彼が望んだことなんですよね。怪獣という自由を手放して、人間の姫様と恋に落ちて。
姫様がダイナゼノンをガウマに託したのも、わざわざ怪獣使いを裏切った彼だからこそ、そんな不自由を愛せると思ったんじゃないですかね。
怪獣優生思想の皆さんについて
味のあるキャラたちだった。頭は固いけどどこか憎めないジュウガ、毎回に死にそうになる天丼男オニジャ、無気力えっち女ムジナ、感情が死んでるシズム。
怪獣にその存在意義を見出して人生における他の未来を選ばなかった(選びたい未来がなかった)彼らは、ダイナゼノンと別れを告げてそれぞれの道を歩み始めた蓬たちと違い、怪獣と一緒に存在ごと消え去ってしまう。最後の終わり方には救いがなく、納得いかないような台詞を残すか、あるいは黙ったまま消えていくような有様。
まあこの消え方というかその信条みたいなものはそれぞれに思うところがあって別にいいと思う。ただ、ちょっと彼らの扱いに関しては釈然としないところがある。それは、日常の様子とその信条があまりにも違いすぎてないか? という点。
まあ要するに、人類を怪獣で滅ぼそうとしているわりに、普通に和気藹々としている日常エピソードを流したり、主人公サイドとほのぼのトークをしたりするのは、なんだか不自然だなあと思うわけです。
キャラも嫌いじゃないしその辺のシーンも好きだったんだけど、そのせいで怪獣優生思想がふわふわしてしまったというか、彼らの戦いが悪ふざけの延長に感じてあまり深刻さが伝わってこなかったみたいなところはある。
全体的なストーリーについて
特に11話。今まで怪獣と戦ってきた彼らが、じゃあ怪獣と戦う必要がなくなったときどうするの? みたいなのが元々めっちゃ好き。そこでそれぞれの道を歩み始める蓬たちと、するべきことが見つからない怪獣使いたちの対比も好き。
ロボットモノと見せかけてロボットに乗らないときの青春パートにかなりの比重を置いてるのも好き。メインのストーリーを進める横でキャラの問題をちまちま並べていくやり方も好きだし、本作だとちまちま並べたものを終盤で一気に解決して一本の話としてまとめたのがかなり綺麗だったと思う。
ただ、これは途中見てて思ったんだけど、やっぱりもやもやする要素だけを描写して特に話が進まなかった中盤とかは退屈な点もあったし、空気感を大事にするあまり尺を無駄にしているような感じもあった。そういうところも含めて雰囲気が作られていたという面もあるけど、もう少し中盤で起伏があってもよかったと思いますね。
まとめ
社会という名のかけがえのない不自由に捕らわれしオタクこと俺。自由になりてえ。