オタクは世界を救えない

『ViVid Strike!』感想、格闘少女フィジカルりんねちゃんがボコボコにされる話をしよう

ViVid Strike! Vol.2 [Blu-ray]

 ついにタイトルからは「魔法少女リリカルなのは」が抜け、格闘戦を主戦場とし始めた少女たち。マジカルではなくフィジカルで語られる物語を見たので、その話をしようと思う。

ボコボコにされる少女たち

 まずこの作品、少女たちが格闘戦で対等に戦うシーンよりも先に、少女がボコボコにされるシーンの方が目立つ。特に序盤。幼きフウカは年上のガキ共にいじめられてるし、成長しても不良相手に無双するかと思いきや結局ボコボコに。一話のナカジマジムでもヴィヴィオたちにスパーリングという名のリンチを受けたりするし、基本的に主人公であるフウカはやられてばかり。

 リンネも同じで、彼女はいじめっ子にボコられて覚醒する。このシーンは当時もかなり話題に上がったので覚えてる人が多いと思う。そして数年後にはすっかり女を破壊するマシーンとして名を馳せ、肉体的にも精神的にも対戦相手をボコボコにする感情無き破壊神として君臨している。彼女をワールドチャンピオンたらしめるのは、勝者の笑みよりも対戦相手の泣き顔だと言って過言ではない。

 要するになにが言いたいかって、今作において物語が語られる原動力というのは、彼女たちが敗北してきたことにあると、俺は思っているということ。

 その最たるところは、ウィンターカップでのヴィヴィオVSリンネの試合。

  正直ね、俺はリンネがミウラやヴィヴィオを滅多打ちにして勝ちあがってくるものだと思ってた。でも違った。リンネからしたらチャンピオンに挑むまでの前座、才能無きプレイヤーをなぎ倒して頂点に辿り着く過程に過ぎないはずだったヴィヴィオ戦で、彼女は敗北を喫する。ここが今作一番の見所といってもいいかもしれない。

 この一戦のなにが面白いかって、どっち視点から見ても一筋縄ではいかない物語だということですね。

 まずヴィヴィオ視点から見てみよう。そもそも彼女は格闘技向けの人間ではなく、パワーや体格といった才能も持っていなかった。前作である『なのはViVid』でも気持ちよく勝ち上がれるわけでなく、大会でもわりと中途半端な成績で終わるような存在なのが印象的だった。主人公なのにそこまで強くない、それが俺にとってのヴィヴィオの印象。
 だけどその敗北の歴史があった上で、今作のヴィヴィオがいる。努力と工夫が才能を凌駕するエピソードはオタク好みのそれであり、今作はヴィヴィオの物語としても一つのゴールを描ききれたのだと思う。

 で、次はリンネ視点。才能を持って格闘技を大切なものを守るための「手段」として扱ってきたリンネが、不必要なはずの格闘技を楽しむ凡才であるヴィヴィオに敗北し、メンタルをへし折られる。ここで重要なのは、ただ負けたというだけではなく、負けたということでリンネがショックを受けすぎているという点だと思う。だってさ、普通は試合に負けることぐらいはよくあることなのに、リンネはたった一戦負けただけで精神ボロボロ、勝てないなら格闘技はやる必要ないとまで言ってしまうぐらいに落ち込んでしまう。「他人を見下す癖に、辛くなったらすぐに投げ出す」とフウカに評されるぐらいのクソ雑魚メンタリティであるリンネ、なんだよ全然強くないじゃんというのがこのエピソードの趣旨。リンネは勝利によって自分を救うのではなく、敗北によってその物語を進めるわけである。

大切なものを守るために強くなるということ

 序盤から強調されるフレーズでもある。「大切なものを守るために」強くなろうとするフウカやリンネ。でもこの価値観、どちらかというとViVidよりも本家なのはシリーズに近い気がする。命をかけて戦っていた少女たちと同じ目線で、孤児であったフウカやリンネは戦っていたのである。

 しかし忘れちゃいけない。現代は平和な世界。なのはたちが守った幸せな暮らしのある世界。フウカもリンネも優しい人たちに囲まれ、あくまでもスポーツである格闘技として戦っている。なのにそこまでシリアスに物事を受け止めようとするのは、ただ単に自分の殻に閉じこもっているだけだから。傷つくのを恐れて大切な人にその気持ちを打ち明けることを躊躇ったから。リンネが不幸なのは、彼女が身体的に弱かったからじゃない。その心が弱かったからなのだということ。

 わりと今作で印象的なのは、フウカだけがリンネに対して本気で怒っていること。しかもその内容は、彼女の内面のことに対してばかり。人を見下すこと、人の言うことに耳を貸さないこと、すぐに諦めること、幼馴染の呼びかけに応えないこと。平和なこの世界においても、心の強さは生きていく上で必要不可欠。心技体って言いますよね。今作は強くなるということの本当の意味をリンネが知る物語でもあった。

練習の成果について

 今作において少女たちを勝利に導くのは、才能や覚醒ではない。地道な練習の成果である。

 ……というのはどういうことかというと、つまり勝負の決め手になる技や展開が、彼女たちの練習の成果であるといちいち強調されるからである。

 ヴィヴィオがリンネを倒したきっかけは、左腕でのフリッカージャブを練習していたから。フウカがリンネを押せたのは、ナカジマジムで様々な先輩から技を教わっていたから。そしてリンネが最後にフウカをぶっ飛ばしたアッパーは、ジルコーチから教わっていたパンチの基礎の集合体。
 土壇場で不思議な力が覚醒したわけではない。彼女たちを救ったのは日々の練習。ここが今作がバトルモノではなくスポ根と呼ばれる所以だと思う。

 そして彼女たちが日々の練習を続けてきた理由はなにか? もちろん、生きるために必死だったからというだけではない。格闘技なんて、別に生きるだけだったら必要ない世の中。じゃあどうして彼女たちはそこまで打ち込んだのか? まあ作中で何度も語られてるからわかりますよね。そう、楽しかったから。楽しかったから彼女たちは、人生をかけて格闘技に打ち込んでるってわけ。

 ここまできて、ようやく俺は今作から「魔法少女リリカルなのは」のシリーズ名が抜けてることに納得した。なのはが自分を犠牲にしてまで誰かを守ろうとしたのに対して、今作の少女たちはどこまでも一途に自分のやりたいことを貫き通そうとした。自分のために戦っていい時代が、すぐそこまで来てるんですよ。

気になった点について

 ここまで、今作の良い点を挙げてきた。正直言って世間で語られてるより(そもそも語られてたかどうかは別として)ずっとよく出来ているアニメだと思う。特にフウカとリンネにストーリーを絞って、しかもリンネの挫折を見せつけてくるストーリーは中々に力強かった。単に美少女が殴り合うだけのアニメだと思って敬遠してるオタクはすぐに認識を改めるべきだろう。

 とは言っても、ストーリーに不満点は残る。めんどくさいオタクとしてはその辺にも触れていきたいと思う。

 まず個人的に一番気になったのは、主人公であるフウカの掘り下げが甘い点。というか、リンネにはあそこまで暗い過去があったのに、フウカに関してはせいぜい不良と喧嘩してるだけっていうのがちょっと軽いかなと思う。幼馴染設定もあるけど、リンネサイドでの比重はベルリネッタ家でのエピソードに割かれているので、フウカからリンネに与えた影響も小さければ、フウカにとってのリンネの重みも少ないように感じた。総じて、フウカVSリンネのストーリーであるのに、二人の因縁があんまりなくてちょっと物足りない形になっていたと思う。

 それにそもそも、フウカに割かれている尺が少ない。この作品、主人公はむしろリンネの方だろうというぐらいリンネのエピソードが長いし、それに対してフウカは個別のエピソードがほとんどなく、試合もリンネVSミウラ、リンネVSヴィヴィオ、リンネVSフウカ、といった感じなので、もうちょっとフウカに尺を割いてやってほしかった感がすごい。アインハルトとの師弟関係も、ただ技を教わっているというだけで精神的な繋がりとかも薄かったし、その辺はかなりもったいない部分ですね。

 あとは、ViVidからの出演キャラがやたらと多い。これはファンサービス的にはよいのかと思うけど、正直なのはViVidの原作を一度読んだ俺からしても、こいつ誰だっけ的なキャラが何人かいた。初見のオタクからしたら名前も設定も知らないキャラがやたらいっぱい出てきてガヤガヤしてるだけにしか見えないだろうし、この辺がスピンオフとしての難しい点でもあったかもしれない。

 

まとめ

 リンネの変身バンクで強調されるおっぱいを見ながら別に貧乳のままでも良かったのにと思いながら興奮するタイプのオタク

更にまとめ

 というわけで実を言うと今回はSkebからのお題でした。前々から見ようか迷っていたのでちょうどよかったというのもあるし、色んな意味で新鮮でしたね。

https://skeb.jp/@g_otakublog