オタクは世界を救えない

『空の青さを知る人よ』ネタバレ感想、お前の空は何色だ?

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 公開初日は、台風の前日でした。じゃあ空が何色かって? 見りゃわかるだろ。

 映画の話だけど、はっきり言って完成度の低い作品だと思う。一時間半かけて岡田磨里のオナニーを見せられた気分だ。今日はそういう方向性の話をするのでこの映画を面白いと思った人は回れ右をするか自分の感性を疑った方がいい。

概要

 スタッフはいわずもがな『あの花』スタッフ。アニメ・オタク的には有名所で、映画だと『心は叫びたがってるんだ』で思ったよりやるじゃんと高評価、岡田磨里単体では『さよならの朝に約束の花を飾ろう』でまあ人によっては高評価。俺はだいたいお話部分しかわからないから脚本家の岡田磨里でこの作品を語るけど、まあ安定感はともかく個性がはっきりしている人間という印象。特に今回はあの花スタッフの前作であるここさけがかなり良かったのと、宣伝や主題歌あいみょんから一般ウケも狙っているだろうということもあって、それなりの完成度はあるんじゃないかという予想をしていた。

 しかし蓋を開けてみると、お話が酷い。詳しいところは後でまとめてやるけど、なんかもう最後の終わり方とか見たら誰でもなんだこれってなると思う。まったく進まないストーリー、盛り上がりどころがわからないシーンの連続、いきなり爆発する赤いギター、大したこともせず消える地縛霊、歌われることのないご当地ソング。特にラストシーンは意味がわからない。主人公がクソ青いみたいなこと言ってたけどそれはこっちの台詞。お前、ライブはどうした? 大人しんのと一緒に演奏するんじゃなかったのか? 目玉スターはどこにいった? かき鳴らせよ、秩父どんと恋を。

 かつて俺たちは田舎者が右往左往してるのを眺めながら何が起こるのかと期待していた。少なくとも途中までは。閉塞的な田舎の盆地から解放されようとする少女と、振られたショックで過去に閉じこもる少年が、大人とか夢とか進路とかに音楽をもって抵抗する姿を想像せずにはいられなかったし、地元に残ることを選んだババアと温い形で夢をかなえ損ねたジジイが輝いていた青春時代を引きずって苦しめられる展開を心待ちにしていた。その結果、音楽は大した影響ももたらしてくれなかったし、ババアとジジイは普通に結婚して老後を迎えた。少年は気付いたら霧散し、取り残された少女は特になにもしなかった。せめてあかねのおっぱいがもうちょっと大きければ語れることもあったかもしれないのに、この作品は俺たちにシコることさえ許してくれない。この劇場でオナニーすることを許されているのは、岡田磨里ただ一人だけだった。

空の青さを知る人よ

 一応は真面目な話もしておこうと思います。この作品のテーマについて。あんまり読み取れてないですが。

 まず作品のテーマは、タイトル通り、井の中の蛙は大海を知らないが(あかねは地元から出ず外の世界を知らないが)、空の青さは知っている(本当に大切なことはどこにいても同じだよ♡)、ということ。
 あかねはあおいを育てるために地元に残った、というかたぶん彼らの高校時代のメンバー中、地元を出たのは慎之介だけなのかな? あおいは田舎のことをクソだと思っていて、都会に出て挑戦したい/した慎之介は田舎に残ることを居心地のいい場所に引きこもってるぐらいに考えてる。俺も田舎はあんま好きじゃないので秩父にもそろそろ飽きてきている。だからあかねが地元に残ることを選択したのは不幸なものとして認識されているのが大前提。

 あおいは自分のせいで姉を地元に縛り付けていると思っており、東京に出て自律したいと語るのは地元を嫌う自分のためでもあり、地元に縛り付けられている姉を解放するためでもある。ただその決意を揺るがすのが、突如現れた二人のしんの。
 大人になった慎之介はミュージシャンではあるけど夢見ていた姿とは程遠く、都会に出ても田舎もんは土臭いまんまだと教えられ、お堂から出てこれない子供の慎之介は楽しかった頃の思い出に閉じこもっていたい心境を表している。あおいは大人慎之介に厳しくされ、逆に子供慎之介には優しくされ余計に彼のことを好きになる。都会に出てもいいことなんかない。だったら思い出の詰まったこの場所で、自分が好きだった男の子とゆるく楽しくやってりゃいいじゃん、となるのは心弱き者としては仕方がない。

 ただあおい視点での問題は作中描かれてる感じだとただひたすらに、「しんのはあか姉とくっつくべきだ」というもの。自分が慎之介とくっ付く選択肢は終始存在しないし、あかねが自分のことを気にせずに慎之介とくっ付いてくれることこそ、あか姉の幸せなのだと信じて疑わない。この辺が岡田磨里って感じの部分で、要するに女の三角関係というかドロドロというか恋愛模様みたいなもの。
 あおいが慎之介を奪おうという考えに至らないのは考慮すべきところなのかなとも思う。あおいも昔から慎之介のことは好きだったのに、優先するのはあかねであって、なんというか慎之介は思い出の象徴みたいなもんなのかなって感じ。楽器やって慎之介の後追いをしようとしているのも、結局のところは思い出を追いかけているようにも見える。今がつまんねーのを環境のせいにして、慎之介の真似をしたらきっと良くなるんじゃないかって思いこもうとしてるのは、思い出のお堂に閉じこもっている慎之介の地縛霊と本質的には同じ。

 ただその辺の価値観が揺らぐきっかけが、やっぱり帰ってきた大人しんの。クソだせえおっさんのバックバンド、ただの酔っ払い、かつての想い人を放ってJKと行きずりファック。憧れてた将来が一気に色褪せていって、そりゃきらきら輝いている頃の思い出に傾くわといったところ。慎之介本人も同じで、自分の現状に満足してはいないから大人の方は基本的にカスみたいなムーブをするわけですね。
 まあ一応、慎之介は地元を出るときビッグになって帰ってくるという決意をしてはいる。そのために思い出を封印したし、ギターが上手くなってる辺りからは努力も伺える。でも現実はおっさんの尻拭きバンド。こんなのは最愛の人に見せたかった姿ではないので、わざとゴミみたいに振舞って嫌われようとする。地元に逃げ帰ってきたみたいな構図は最悪だから、その辺は男の意地がある。
 でも結局、なんか途中であかねと二人っきりになってギターを聞かせる場面で心折れてしまうわけですね。そりゃ三十代であんなに犯したくなるような見た目の女が優しくしてくれたら基本的に男は勃起する。つーかあか姉だけ見た目変わらなすぎじゃね? こんな31歳いたらマジでファックだよ。そういう感じで慎之介は自分の唯一のソロ曲を披露するわけだけど、その途中から高校時代の教師の真似とか、たぶん昔もそういう感じであかねを笑わせてたんだろうなぁ~って芸を始めるのがもうすげーダサくて痛々しい。お前が見せたかったのはそんな同窓会でする昔話みたいなやつじゃないだろ? 都会でデビューするかっこいい自分のソロ曲だろ? それをおちゃらけて笑いで誤魔化すのはすげーかっこ悪い。でもそこで妥協してしまうんですね。彼はもう心折れてしまったので、田舎に戻ってあか姉のおっぱいに慰めてもらうのでもいいかなって思ってしまうわけです。でもそれをあか姉が叱咤する。雑魚がと。お前に畑仕事は似合わねえよと。ちゃんと夢を叶えなさいと追い返すわけです(そのわりには最後にあっさりと結婚してしまうのがマジでファック)

 この世界で唯一、空の青さを最初から知り尽くしている人物。それがあかね。妹でリアルプリンセスメーカーをやって楽しんでた彼女としては、田舎にいても幸せなもんは幸せだとわかっているわけで、重要なのは場所ではないということを知っているんですね。逆に言うと、どこにいても満たされねーやつはクズだってことも知ってるということ。彼女はあおいを育てることに価値を見出したんだけど、慎之介にはやっぱりミュージシャンとして大成してほしかったので、困ったもんだわと。
 あーつまり、なにが問題かっていうと、慎之介はずっと田舎と都会、思い出にすがることと前へ進むことを分断して考えてたんですね。でもその二つは別々にする必要がないんです。慎之介は雑魚なので、思い出が手に触れられるところにあるとそっちに逃げちゃいそうだからって思い出を封印したんですけど、本来思い出ってのはたまに思い返して元気づけられることもあるわけじゃないですか。慎之介が今回、故郷に帰ってきたのもそれぐらいでいいんですよ。別に夢を叶えてからじゃなきゃ結婚できないってわけでもないんですよ。基本的に空は青いので、それは都会でも田舎でも変わらないし、どっちかっていうと重要なのは自分の中身。あかねは努力の末、あおいを育てきった。しんのは……どうした? 

 あいつは結局なにもやり遂げないまま結婚した惨めな野郎です。あか姉が青さ知りタイプの人間であることはわかったけど、話の帰結としてはどうなんだろうとここで考えます。結局しんのは田舎に帰ってきたのか? あおいはこの先どうするんだ? 話がまとまってねーだろということでこれから本題に入ります。

ストーリーの話

 単純な話をすると、ストーリーが悪いです。上に書いたテーマと関係あるところもあれば、関係なくただ単にストーリーがつまらないという部分もあります。
 まず序盤。動きがなさすぎる。というか序盤中盤終盤と話が動かなさすぎるのでどこまでを序盤とすれば良いのかもわからない。
 一通りキャラクターが出揃い、あおいとデブ(名前忘れた)がバンドの急造メンバーに選ばれるのはまあいい。なんか幽霊が出てくる展開はあの花を彷彿とさせるけど、あれよりもインパクトはめちゃくちゃ薄かった。子供しんのは最終盤を除いて特になにもしないので本当にいる意味がない。よってしんのが現れてもストーリーが動かないわけですよ。なにかキャラと絡んでストーリーに関わってくるわけでもない、あおいにアドバイスをしたりするわけでもない。彼の存在意義はひたすらに内面描写を引き出すための装置なんだけど、そんなんだったら一生モノローグでポエムでも綴ってればいい。最初はお堂でしんのと一緒に練習しまくって大人の方をビビらせるとかそんなストーリーを予想。マジで聞いてるだけだなお前、俺でもできるわ。

 なんだっけ。序盤の話。恋愛部分だけだとストーリーが成り立たないから、一応メインのストーリーとしてはライブ(?)を成功させることじゃないかと思うんだけど、これが薄いんだよね。そもそも成り行きだし、あんまり大々的に取り扱われてないし、それこそストーリーを動かす用に入れましたって感じ。人前でギターを弾くシーンも、最初に見てもらうのと練習のときの二回だけ。それ以降はバンドメンバーが演奏するシーンは一切なし。演奏で見返してやる!とか音楽でしんのの心が!とかもまるでない。演歌歌手はキャラクターを集める舞台装置として作られた存在であり、集まったあとは別に要らないのでまあ最後に落とし物するぐらいですね。だって音楽モノには定番のライブシーンすらやらないからねこの映画。もはや楽器なんてなくてもストーリーは大差ないんだよこれ。ギターなんて女の話をするときの飾りですよ。好きな男と一緒にやりたいからベースを選んだだけで、そいつが姉とくっ付いたらもう興味ないんで予定されてたライブもすっぽかしちゃうわけですよ。
 序盤の話もクソもねーや。語るようなイベントがないからな。マンとチンが我慢汁垂れ流してるだけの序盤中盤、盛り上がりどころがないから気付けばあか姉がトンネルに埋もれてるわけだ。

 そう。相生あかねが今作においてはキーパーソン。なのに何がヤバいって、やつは音楽もやってなければイベントのメインスタッフですらない。こんなに薄っぺらいストーリーラインにどうにかこうにか用意したその二つにすら関わってないから、あかねの登場シーンが本当になんかその辺から引っ張り出してきたみたいなシーンばっかりになる。重要人物が喋れば喋るほど、ストーリーが進まなくなる。でも岡田磨里はそいつらにいっぱい喋らせて台詞でこの作品のテーマを説明したいから、どんどん喋らせてどんどんストーリーが進まなくなる。そもそもストーリーがないからキャラはもう喋るだけ喋ってなんか勝手に誰が好きだの誰が嫌いだのと汚え女子会みたいなのがひたすら繰り返されてる。なんか一人いたクソガキがあおいのことを好きだとか抜かしてたが別になにかするわけでもない。主人公はあかねとしんのをくっ付けるとかあかねとデブをくっ付けるとか言うけど具体的になにかするわけでもない。あかねも立ち位置的に達観してるけど、ストーリー上やったことと言えばしんのに黒歴史を吹っ掛けるところとトンネルに閉じ込められるぐらい。子供しんのはお堂マンだし、名前すら出てきたかどうか怪しい友人ポジションの女は、慎之介を家に入れたり出したりしただけでもはや存在意義がわからない。賑やかしか? そういやあのデブは後半になってからだと車を転がしたぐらいだな。警官になった元同級生は久しぶりの再会なのにガン無視されてフォローもないし声優のギャラの無駄遣いみたいなところがある。いいから音楽やれよ。そのベースは抱き枕の代わりじゃないだろ? どうしてあかねスペシャルは爆発したんだ? 弦を吹き飛ばしたのはこのストーリー上でギターは必要なかったということの暗喩か? 都会から帰ってきた男が地元の女と結婚したらしいが、あいつは今までなにをやってきたんだ? これからどうするんだ? 俺にはなにもわからない。

まとめ

 まあこういうのが好きな人間も世の中にはいるだろう。女のオナニーを見て興奮するタイプのオタクだ。挿入という行為を知らず飛び散ったマン汁で顔を濡らすことが生きがいみたいなやべえやつらだ。
 創作物というのは不思議なもので、全員が面白いという作品もなければ全員がクソだという作品もない。でも少なくとも俺には、この作品の良さは一生わかりそうにない。たぶん、これを作った人間に見えている空の色は、俺が知っている青さとは違う色なんだろう。